
障害のある子どもの明日の準備、遠方で暮らす親の体調の確認、そして山積みの仕事の締め切り。息をつく暇もないまま、また夜が更けていく。まるで、決して落とせない三つのボールを、たった一人でジャグリングし続けているような毎日。「自分の人生は、どこへ行ってしまったのだろう」と、ふと我に返り、愕然とすることはありませんか。
育児や障害のある家族のケアと、親や祖父母の介護が同時に発生する。その息が詰まるような状況は「ダブルケア」と呼ばれています。あなたのその責任感の強さが、誰にも頼れず、一人ですべてを抱え込ませてしまうのかもしれません。でも、どうか知ってください。あなたは決して一人ではないのです。そして、その状況を乗り越えるための知恵と社会の仕組みは、確かに存在します。この記事は、出口の見えないトンネルにいるあなたのための、最初の灯りです。
まずは深呼吸を。あなたの状況を「地図」に描いてみよう
混乱と疲労の渦中にいると、問題が巨大な一つの塊に見えて、どこから手をつけていいか分からなくなります。だからこそ、最初のステップは、あなたの状況を客観的に「可視化」すること。一枚の紙とペンを用意して、頭の中にあるものを書き出すだけで、心に少しの隙間が生まれます。
なぜ「書き出す」ことが最初のステップなのか
書き出すことで、漠然とした不安が具体的な「課題」に変わります。誰に・何を相談すればよいのかが明確になり、専門家も状況を理解しやすくなります。そして何より、「これだけのことを一人でやってきたんだ」と自分自身を認めてあげる、大切なプロセスになるのです。
【やってみよう】ケアの対象・内容・自分の状況を整理する一枚のシート
完璧に埋める必要はありません。思いつくままに書き出してみましょう。
- ケアする相手①(例:子ども):年齢、障害名、必要なケア(送迎、食事介助、医療的ケアなど)、利用中のサービス(放課後等デイサービスなど)
- ケアする相手②(例:親):年齢、状態(要介護度、病名など)、必要なケア(見守り、通院介助、金銭管理など)、利用中のサービス(デイサービスなど)
- あなた自身のこと:あなたの仕事(職種、勤務形態)、あなた自身の健康状態、頼れる人(配偶者、兄弟姉妹など)、経済的な状況
- 今、一番困っていること:(例:自分の睡眠時間が取れない、仕事の会議と親の通院が重なる、精神的に追い詰められている)
縦割り制度を乗りこなす「支援の組み合わせ」という発想
ダブルケアの難しさの根源は、支援制度が「高齢者(介護保険)」「障害者(障害者総合支援法)」「子ども(児童福祉法)」と、縦割りに分かれている点にあります。しかし、これらの制度は「組み合わせられない」わけではありません。異なる制度をパズルのピースのように組み合わせ、あなたの生活にフィットさせる。その発想の転換が、状況を大きく変える鍵となります。
介護保険と障害福祉サービス:似ているようで違う、二つの柱
親のケアには「介護保険サービス」、障害のある子どものケアには「障害福祉サービス」が基本となります。これらは根拠となる法律が違うため、提供されるサービスや利用のルールも異なります。例えば、ホームヘルパーの派遣一つとっても、介護保険の「訪問介護」と障害福祉の「居宅介護」では、できること・できないことに違いがあります。
【具体例で解説】「親のデイサービス中」に「子どもの移動支援」を使う
制度を組み合わせることで、時間は作り出せます。例えば、こんな一日が考えられます。
- 午前:親を介護保険のデイサービスへ送り出す。
- 日中:あなたは仕事に集中する。
- 午後:仕事の合間に、障害福祉サービスの「移動支援」を利用して、ヘルパーに子どもの習い事への送迎を依頼する。
- 夕方:デイサービスから帰宅した親と、習い事から帰宅した子どもを、少し余裕のある気持ちで迎える。
これはあくまで一例です。専門家と相談することで、あなたの生活に合わせた組み合わせは無限に見つかります。
仕事と両立するための「育児・介護休業法」という切り札
忘れてはならないのが、働くあなた自身を守るための制度です。育児・介護休業法では、介護休業や時短勤務、子の看護休暇、介護休暇などが定められています。これらは労働者の権利であり、堂々と活用すべきものです。「職場に迷惑がかかる」という思い込みは、一旦脇に置きましょう。
【最重要】あなたの「チーム」を作るための相談窓口
一人で戦う必要はありません。あなたの周りには、チームの一員となってくれる専門家がいます。問題は、その専門家たちが別々の場所にいること。あなたの役割は、司令塔として彼らをつなぐことです。
総合相談の司令塔「地域包括支援センター」
高齢者に関するあらゆる相談の最初の窓口です。お住まいの地域ごとに設置されており、「親の介護で困っている」と伝えれば、ケアマネジャー(介護のプランナー)の紹介や、利用できるサービスの案内をしてくれます。まずはここに電話をすることが、すべての始まりです。
障害福祉の専門家「相談支援専門員」
障害のある方やその家族の相談に応じ、障害福祉サービスを利用するための計画を作成する専門家です。子どもの成長や状況に合わせた、最適なサポートを一緒に考えてくれます。市区町村の障害福祉課などで紹介してもらえます。
【連携のコツ】ケアマネと相談支援員に「合同会議」を開いてもらう方法
ダブルケアの核心的な課題は、ケアマネと相談支援専門員が別々に動いてしまうことです。ここであなたが司令塔となり、「家族全体の状況を共有したいので、関係者で集まる会議を開けませんか?」と提案してみましょう。これを「サービス担当者会議」と呼びます。専門家たちが顔を合わせることで、情報が共有され、「チーム」としての一体感が生まれます。これにより、支援の重複や漏れを防ぎ、より効果的なサポート体制を築くことが可能になります。
「仕事を辞めない」ための、今日からできる負担軽減の技術
制度や相談窓口と並行して、日々の負担を少しでも軽くする具体的な技術も身につけていきましょう。
家庭の工夫:「完璧」より「持続可能」なケアを目指す
毎日手作りの温かい食事、きれいに片付いた部屋。そんな理想は、一度手放してみませんか。重要なのは、あなたが倒れないことです。冷凍食品や惣菜に頼る日があってもいい。掃除が一日くらいできなくてもいい。「完璧なケア」より「持続可能なケア」へ。その意識改革が、あなたの心を守ります。
職場の工夫:状況を「報告・連絡・相談」する際の伝え方
職場に状況を伝えることは、弱みを見せることではありません。リスク管理の一環です。伝える際は、感情的に「大変なんです」と訴えるのではなく、「現在、家族のケアでこのような状況です。業務に支障が出ないよう、まずは3ヶ月間、週2日の在宅勤務を試させていただけないでしょうか」というように、現状・希望・期間・業務への配慮をセットで、具体的に相談する姿勢が理解を得やすくなります。
自分のための工夫:罪悪感なく「レスパイト(休息)」を確保する
「レスパイト」とは、介護者の一時的な休息のこと。ショートステイなどを利用してケアから離れる時間を作ることは、決して「ずるいこと」や「贅沢」ではありません。それは、ケアを続けるために不可欠な「メンテナンス」です。あなたが笑顔でいることが、家族にとって一番の幸せなのです。
あなたは一人ではない。同じ道を歩む仲間たちの声
どんな専門家のアドバイスよりも、同じ痛みを知る仲間の「わかるよ」の一言が、心を救うことがあります。今は、オンラインで簡単につながれる時代です。
(事例)ダブルケアと仕事を両立する、ある一人の物語
「最初は、仕事を辞めることしか考えられませんでした。でも、地域包括支援センターに泣きながら電話したあの日から、少しずつ歯車が動き出したんです。ケアマネさんやヘルパーさん、職場の同僚。たくさんの人に頼ることで、自分は一人じゃないんだって思えた。今では、週末に1時間だけ、自分のためだけにカフェで過ごす時間が、何よりの宝物です」
つながる場所:地域のケアラー支援団体・オンラインコミュニティ
お住まいの市区町村名と「ケアラー支援」「家族介護者の会」などのキーワードで検索してみてください。地域の当事者団体が見つかるかもしれません。また、SNSなどには、ダブルケア当事者のためのオンラインコミュニティも数多く存在します。顔を出すのが億劫でも、まずは他人の投稿を読むだけでも、気持ちが楽になるはずです。
おわりに:頼ることは、あなたの強さです
ダブルケアという過酷な状況を、たった一人で乗り越えようとすることは、責任感ではなく、自分自身を危険に晒す行為です。「人に頼るのが苦手」かもしれません。しかし、頼ることは、弱さや諦めではありません。それは、あなたとあなたの愛する家族の生活を守るための、最も賢明で、勇気ある「強さ」なのです。
この記事を読み終えたら、まずはお住まいの地域の「地域包括支援センター」の電話番号を調べてみてください。その一本の電話が、「一人で頑張る介護」を「チームで支えるケア」へと変える、大きな一歩になるはずです。